2006年10月12日

札幌道中唄繰り気(一日目)

2007年10月19日(金)


出発は朝5時。
同行者は北海道は札幌出身のYジロウ。
俺もYジロウも朝には弱い。
心配だから二人で朝まで呑んで、そのまま出掛けようとういう話になり、
夜中はシコタマ呑んだ。
フッラッフラの足取りで二人、電車に乗って羽田まで。
途中、大門という駅で乗り換えなくちゃいけないんだけど、
俺は酔っ払ってるし、眠たいしで起きている自信がなかったから、
Yジロウに大門に着いたら起こしてくれるよう頼み、
あっと言う間に眠りの底へ…。
…ウツラウツラ全然別の世界の夢を見ていると、
ふと横から名前を呼ばれ、目を開けると、
Yジロウが「大門に着いたよ」と教えてくれた。
俺は、寝惚けていて、
「フヌッ」
という返事にもならないような言葉で了解し、
電車を降りた。
電車はドアーを閉め、また地下鉄の闇へと滑り込んでいく。
「あっ!」
俺は我に返って声を上げた。
「Yジロウ、ギターしか持ってない…」
俺は寝惚けて電車を降りた為、
網棚の上に載せておいた、
自分のリュックの存在をすっかり忘れてしまっていた。
「ウソ?…」
「マジで…」
リュックの中には三日分の着替え、三日分のお金、
そして携帯電話に、ギターの演奏で使う小物類が入っている。
なければ、俺はギター一本だけの文字通り文無しで、
北海道に挑むことになる。
軽く走って電車を追い掛けたものの、それはハッキリ無駄な抵抗だった。


駅員室に走る。
ドタバタと焦った顔で、駅員さんに事態を説明したが、
事態は好転しなかった。
リュックは2、3個先の駅で確保してもらえたものの、
そこから荷物は送ってもらえない。
しかも良くないのは、
俺達は飛行機の時間に間に合うかギリギリの進行をしていた事だった。
確保された駅まで荷物を取りに行っていたら飛行機には乗れない。
俺は「Yジロウ、俺はおいて行け」と言い、
Yジロウは「いや、金は貸すから取り敢えず一緒に行こう」と言った。
緊急事態に迷っている暇はない。
俺はYジロウの意見に従う事とし、
荷物は三日後に取りに行くから駅で保管してもらえるよう頼んで、
先を急いだ。
まさかこんな失敗をすると思わなかったが、
何だか出発前から自分が言っていた、
「ギター一本で北海道を回って来ます」
の通りの姿をしている自分が、
馬鹿馬鹿しいくらいに笑えた。


羽田に着くと飛行機の出発まで10分もない。
二人でバタバタ空港内を走り、
出発ロビーでチャックインしようとした。
が、そんな10分前に来た客を乗せてくれる飛行機はないらしい。
「その飛行機には、お乗せできません」
と空港の人に丁寧に断られ、万事休す。
「でも、お待ち頂ければ別の便に乗れるかもしれませんが」
九死に一生を得る。
3時間ほど待てば、俺達は何とか新千歳への飛行機に乗れる事になった。



3時間あるなら、
という事で、俺は希望を取り戻し、
Yジロウを空港に残して、
自分の三日分が詰まったリュックを回収しに行くことに決めた。
折も折、時間帯は通勤時間のラッシュ時だ。
二日酔いと、寝不足の足を浮かせながら、
俺は2時間を掛けて、荷物を回収する事に成功した。


戻ってきた空港は修学旅行の学生で賑わっている。
懐かしい思いに囲まれながら搭乗手続きを済まし、
飛行機は一路、羽田から新千歳へ。
一度は文無し旅行を覚悟し、
一度は北海道へ行くことさへ断念しかけたこの3時間、
飛行機に乗ると、安堵と共にどっと疲れ、
空中にいる間はずっと眠っていた。


午前11時頃に新千歳に着き、
バスに乗って札幌に向かったが、
そこでは予想以上の寒さがお出迎えしてくれた。
さっそく乾燥した冷たい風が背中を撫で上げていく。
何だか北京を思い出す寒さだった。
これから、やっと札幌の旅が始まる。


俺とYジロウは夜を待ち、
街に出掛けると、まず明日の夜にやる、
woodstockというライブバーに挨拶をしに行った。
雰囲気もいいし、店のマスターも、
俺が流し的にここで演奏させて欲しいという想いに理解を持ってくれた。
熱い想いを持てば、人の熱い想いに触れる事ができるらしい。
そこで、軽くリハーサルをさせてくれるという事になり、
一曲『呑気放亭』を唄う。
好感触。
俺は、徐々に気分が上がり、ウキウキこの旅を楽しむモードができてきた。


夕飯後は、友達の紹介で流し一店目、
モダンタイムスという店で唄う。
地元のミュージシャンとセッションもし、
汗が飛び、アルコールが飛び、つばが飛び、
力の限りで唄い切った時、
右手の人差し指は、弦に肉をえぐられて血まみれになっていた。
それだけ熱中した時間だった。
お客さん達もその時間を共有してくれた。
兎に角、気持ちがいい。

お店のマスターやお客さん達に、
地元のミュージシャンと闘うドサ回りがしたくてここに来た、
と説明したら、
「応援するから頑張れよ。そして必ずまたここに来い」
と言ってくれた。
札幌には熱い想いで話すと、
熱い想いで返してくれる人しか住んでいないらしい。


兎に角、体力を消耗し長く感じる一日だったが、
俺は今、無事札幌にいて、
早速、唄い出している。
何か初心を思い出させてくれるような旅になりそうだ。
明日も誰かと知り合うだろう。


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札幌道中唄繰り気(二日目)

2007年10月20日(土)


この旅で、俺はYジロウの実家にお世話になっている。
寝泊まり、風呂、ひと時の温かい団らんなど、
家庭という温もりの中で骨を休めている。
Yジロウ母さんには、
昨日突然やってきたばかりの、どっかの馬の骨である俺に、
息子と同様に、何くれとなく気を遣って頂いて、
このご厚恩には、感謝しても仕切れない。
右も左も判らず旅をしていると、この優しさに甘える事しか出来なくて、
「有り難うございます」と言うので精一杯だ。
本当に温かい家族で、感謝してもし足りない。


昨夜の演奏でえぐった人差し指の傷が、思った以上に深手になっていて、
体内のアルコールが切れるとやけに疼く。
それを見たYジロウ母さんが炭素の熱で消毒する“太陽熱”という機械を出して下さり、
それに人差し指をかざして消毒させてくれた。
Yジロウ家の人々は、傷などをこの“太陽熱”で治すらしい。
それを見たYジロウは「またか」みたいな顔をしたが、
俺は母親の一生懸命な心配性も身に染みるし、
それに少々気恥ずかしさで苛立つ息子の気持ちも判る。
息子と母親の愛情関係には不可欠な要素だと思う。
俺は“太陽熱”でジリジリ傷を消毒しながら、
そんな懐かしさを思い出していた。
人様の実家とは言え、Yジロウ家で離れ難い里心が芽生えた。
この支離滅裂な旅で、心身をへその穴から緩める事が出来て、
本当に有り難く思う。


そんなこんなのYジロウ宅にはYジロウ姉さんと甥っ子、姪っ子が遊びに来ていた。
俺にはまだ甥も姪もいないから、こういった子供に接すると、
どう接すればいいのか戸惑う。
「可愛いねぇ」なんて猫なで声が恥ずかしくて出せない、
だから俺もYジロウも仏頂面をしたままだ。
案の定、甥っ子も姪っ子も恐ろしくて近付けないといった有様。
Yジロウ母さんが気を遣って、
「ほらこのオジ…オニイサンに、山口くんって言ってごらん」
姪っ子に勧めたが、姪っ子は「ヤ」も発音しなかった。
確かに、これくらいの子供達に「オニイサン」と呼ばせるには、
無理がある年頃になったんだなぁと実感する。
山口オジサンは変な顔を作って笑ってみせる、
甥っ子と姪っ子は、それを見て恐れ、たじろぐ。
上手く世代を越して交流が出来ないの図。
ただ、甥っ子は今流行の「そんなの関係ねぇ〜」が好きらしい。
最初は恥ずかしがってやってくれなかったが、
そのうち調子が乗って来て、
汗を掻きながら「そんなの関係ねぇ〜」と踊り回るようになった。
これなら世代を超した交流が俺にも出来ると思った。
山口オジサンが、
「Yジロウはぁ〜、俺の伯父さんだぁ〜」と振ると、
甥っ子は、
「でも、そんなの関係ねぇ〜、そんなの関係ねぇ〜、はい、オッパッピー」とやった。
この子は将来、必ずや大物になると確信した。
やがて、Yジロウ姉さんの親子は帰って行った。その車を見送る。
「じゃぁねぇ、頑張ってねぇ、気を付けてねぇ〜」
と手を振るついでに、俺と甥っ子は、
「でも、そんなの関係ねぇ〜、そんなの関係ねぇ〜」


夜を待って再びすすきのへ出る。
札幌の地下鉄はデカイ。向かい側に座る人がやけに遠くに感じる。
すすきのに着くと、まずYジロウの旧友と会った。
そこで適度に腹ごしらえ、そして酒を呑み、
俺は先に店を出る。
昨夜お邪魔したWoodstockでライブをやる為だ。
Woodstockのマスター・金安さんは元々スカイドック・ブルースバンドというバンドをやられており、
友部正人さんや大塚まさじさんのギターなども弾いてこられた人で、
飛び込みの俺を快く受け入れてくれて、唄う時間を与えてくれた。
何だか下手のこけない緊張感が押し寄せる。
Woodstockのお客さんと少し雑談を交わしながら、
俺はステージの準備を済まし、Yジロウと旧友が来るのを待って、
二日目のライブを始めた。


ライブは30分、6曲。
この日のステージは兎に角、無駄な力ばっかりが空回りした唄になった。
客席の雰囲気ばかりが気になってなかなか自分の間を作れない。
唄に力が入り過ぎて、曲の強弱が作れない。
全て自分の気持ちがステージ上で起きる事の後手に回っていたと思う。
何度もBARで唄って来たし、こういう雰囲気に慣れたと思って来たけど、
こんな大事な夜こそ、未熟さの露呈するものかと痛感した。
外目にどう見えようとも、俺の中では良くない唄だった。


唄い終わると、マスターの金安さんは、
「もっともっと色んな状況の中で唄わなきゃな」と笑って俺を叱咤してくれた。
そしてこの夜、俺は結構しょげた。
これまで沢山のライブをやり、しょげて帰るライブも沢山あった。
ただ「何しに札幌に来んだ…」
「わざわざ札幌まで来て…」
という想いが旅の骨身に染みる。
やり切れない苛立ちが抑え切れないでいた。


ステージの後、金安さんのバンド・G.G.KINGに混ぜてもらい、
好きなブルースを唄う。
心地よいバンドサウンドの中で、想いをぶつけるようにブルースを叫んだ。
これはとても良い唄になった。


朝に近い夜、Yジロウ宅に戻って来ると、
俺とYジロウは考え方の問題でケンカになった。
俺はYジロウに「俺が唄っている間くらいもっと集中せいっ!」と怒ったが、
YジロウはYジロウで一生懸命にやっている。
「集中してるだろう」とやり返す。
まだ明日の最終日に演奏する場所も見当がついていない不安と、
俺としてもっと本気で勝負しなくちゃまずいという本音を全部Yジロウにぶつけた。
俺は札幌でAWAY、Yジロウは札幌がHOME、
俺はさんざんわがままをぶつけながら、
俺とYジロウ、二人で行こうと決めた旅に、
AWAYに挑戦するという共通の目的を持って欲しかったんだと思う。
と、同時に自分にもこの仕事を仕上げるという気合いを入れていた。
ただ、その意見の折り合いはつかないまま、
俺とYジロウは不得要領で寝床に着いた。


この旅は、とうとう俺の気持ちを丸裸にしたなと思った。

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札幌道中唄繰り気(三日目)

2007年10月21日(日)


朝から昼まで昏々と眠る。
北海道の空気は乾燥しているから喉が乾き、
途中一回だけ目を覚ました。
俺は階下に下りて、Yジロウ宅の台所に行くと、
居間には既にYジロウ母さんとYジロウ父さんが起きていた。
「おはようございます」
と挨拶をして、お茶を一杯頂くと、
「もう少し寝ます」
とまた寝所に戻った。
「あんた達は毎日朝まで遊んで身体を壊すよ」
とYジロウ母さんに言われた。


昼を過ぎて、寝所にYジロウが起こしに来た。
「フヌッ」
という返事にもならないような言葉で了解し、
俺は寝床を出て、居間に下りた。
俺もYジロウも昨夜のケンカでどこかギコチナイ。
そんな事情を知ってか知らずか、
Yジロウ父さんとYジロウ母さんが回転寿しを食べに行こうと連れ出して下さった。
起き抜けのお寿司は胃に重い。
「北海道の回転寿しは全然違う」と聞かされていたが、
確かに美味い。
でも重い。
Yジロウと俺が思ったよりも食べれない有様を見てYジロウ母さんは、
「歳を取ったんだね」
と笑った。
Yジロウ父さんは寡黙な人だけど、
発する一言一言に優しさと可愛らしい愛情が溢れている人だった。
結局、お寿司をご馳走になり、札幌道中最後の夜を迎えた。


Yジロウ宅で出掛ける準備をしていると、Yジロウが、
「今日、ここに行けば唄えるかもしれない」
と、演奏できそうなLIVE BARを紹介してくれた。
そこは琉吉というお店。
Yジロウの友達の小嶋とおる君が紹介してくれたお店だ。
今回の旅で小嶋とおる君(以下、トオル君)には、
Woodstockも琉吉も、行けば唄えるかもよって教えてもらっている。
ただ、トオル君も自分のライブが札幌の老舗のライブハウスBOOGIEでライブがある為、
未だに会えていない。
ただどうしてもお礼が言いたいから、全部が終わったら夜遅くてもトオル君には会いに行こうと決め、
俺とYジロウは最後の夜、最後のすすきのに出掛けた。


札幌の地下鉄に福住という駅がある。
俺とYジロウはそこからすすきのに向かう。
地下に下りる前、俺とYジロウはイトーヨーカドーの前で煙草を吸いながら今夜の段取りを決めた。
Yジロウは高校の同窓会に行く、俺は先に流吉に行く、
Yジロウは同窓会が8時頃終わるから、その後に流吉で合流する。
そして11時にはBOOGIEに行って、トオル君に会いお礼を言う。
そんな段取りを決めた。


札幌の夜は刻一刻と寒さを増している。
少し掛けた月が雲がなくなった夜空に浮かんでいた。
ここら辺の地域は月寒という地名らしい。
実にふさわしい月が今夜上がっている。
俺は唄うあてができ、俄然勇気が体中にみなぎって来た。
今夜行く琉吉という店は開店5周年のパーティーで馴染みの出演者が沢山いるらしい。
飛び込みで唄えるかどうかは未知だが、唄えても2曲、
俺は1曲目『陽ハ出ズル』、2曲目『呑気放亭』と決め、
それに全精力、全気力を集中させようとウキウキし出した。
兎に角、唄える可能性が1%でもあるのが俺にとって異常なほど幸せだった。
この時、この旅で最大に吹っ切れた瞬間だった。
妙な高揚感で地下鉄に乗り、
すすきのに着くと、俺とYジロウは別れた。


琉吉に入ると、正に満席状態だった。
楽器やミュージシャンもごった返している。
果たして、俺は唄わせてもらえるのか、
唄えるとしたらどんだけ遅い時間になるのやら。
まず、オーナーのシラハタさんを探して挨拶をする。
シラハタさんは気さくに俺を迎えてくれて、
「もしお時間があれば、唄わせて下さい」
とお願いすると、
「OK!わかったよ」
と承諾してくれた。


客席に入り、ステージを見るとWoodstockのマスター・金安さんがギターを弾いている。
演奏後、金安さんに挨拶をすると、
今夜ここで金安さんに昨日の汚名を返上できるチャンスができた事に感謝した。
その後、2時間ほど地元の色んなミュージシャンの音楽を心から楽しんでいると、
Yジロウから電話があり、同窓会が長引いていて少し遅れると連絡があった。
俺は、Yジロウには久し振りの同窓会を楽しんで欲しかったし、
俺一人でこの店に挑戦するつもりでいたから、ただ「ゆっくりしておいでよ」とだけ伝えた。


そこから待つ事、1時間、
俺が自分の出番を待ってステージを見ていると、
Yジロウが駆けつけて来た。
それと同時に、シラハタさんが、
「そろそろ唄うか?」
とおっしゃってくれて、出番が決まった。
「じゃ、2曲、唄わせて下さい」
と言って、俺は廊下に出て楽器の準備をする。
ここに来て、とうとうこの旅の締めを迎えようとしている。
思えば、この短い珍道中、Yジロウとは短い喜怒哀楽をぶつけ合って来た。
だから俺はこの夜をYジロウと仕上げたいと思った。
「Yジロウ、俺がステージ上がったら軽く唄とギターのバランスを取ってくれ」
とYジロウに頼んだが、バランスなんてはなっからどうでも良かった。
Yジロウは客席の状況を見ながら、俺に、
「昨日からハーモニカがすごくいいから、『ヨダカの星』を足した方がいい。
 3曲で文句言われたら俺が責任とる」
と言った。
俺もYジロウも高揚の中に心地よい緊張感と自信をみなぎらせていた。


「東京から武者修行でやってきた山口晶君が唄います」
と紹介を受け、ステージに上がる。
そして1曲目の『陽ハ出ズル』を疾走させた。
もう、失うものもない、そして自分を飾るものもない、
1個の塊として裸になり唄った。
客席がグッと俺に集中するのを肌に感じた。
『陽ハ出ズル』を終えると、客席から心強い拍手が来た。
『よっしゃ、来た』と思っていると、客席の拍手に紛れてYジロウが、
「ラインより、マイクの音の方がいい」
と、こっそりアドバイスを送って来た。
そこで俺はギターとマイクのスタンスを近付けてラインの音よりマイクの音が出るようにした。
2曲目は『ヨダカの星』、思った通りハーモニカは良くて、
音のうねりが上手く夜空を彩った。
そしてそれに呼応して唄がストーリーを語った。
唄い切り客席から拍手が起きると、俺はマスターのシラハタさんに、
『もう一曲いいですか?』
という合図を送った。
シラハタさんは力強く頷いてくれた。


俺が『呑気放亭』に入ろうとすると、
客席で見ていたドラムの方(スミマセン、お名前を伺うのを忘れてしまいました)、
そしてギターを持った金安さんがステージに上がって来ました。
「一緒にやらせてよ」
俺の唄が通用した瞬間だった。
三人で『呑気放亭』を仕上げると、
客席に大きな拍手が残った。
俺は金安さんと握手をして、この三日間の旅がほっと安心に変わったような気がした。


廊下に出てギターをしまうと、Yジロウが泡盛を持って来てくれた。
乾杯をして、一口呑むと堰を切ったように俺達は昨夜からここまでの想いを語り合い、
上手く行った喜びと安堵感を分かち合った。
Yジロウの目が赤く滲んでいたのは、酔いのせいではないようだ。
俺とYジロウはこのステージを仕上げる事が出来た。


ライブ終了後、打ち上げに参加させて頂き、すき焼きをご馳走になるが、
金安さんと話したり、ミュージシャンのKAZUYAさんと話したりで、
ほとんど肉にはありつけなかった。
最後に一曲、KAZUYAさんに「生で唄えよ」と言われ、『黄色い帽子』を唄う。
この夜、これだけの人達と心底から知り合う事が出来て、
俺として矢張り一番ド真ん中のストレートになる曲を歌いたかったからだ。


もう、充分夜は深くなっていた。
俺とYジロウは琉吉のみなさんに心からお礼を言い、お店を出た。
そして、足早にBOOGIEに行き、トオル君に会った。
この行き当たりばったりの唄い旅に貴重な情報をくれたトオル君にやっと会えた。
俺はもう、抱きつかんばかりにトオル君にお礼を言い、
三人で酒を呑み、意気投合した。
三人とも同い年だし、トオル君は腹の据わったミュージシャンで、
十年来の友達に会ったような気分だった。
トオル君はトオル君の道で音楽を築き上げている。
俺は俺の道で築かなくちゃ行けないものがある。
俺はハーモニカ、トオル君はギター、そこにBOOGIEの店長が加わってジャムセッションをし、
最後に俺はトオル君に『呑気放亭』を送った。
「また必ず会おう」とトオル君とがっちり握手をして店を出た時には、
矢張り朝だった。


Yジロウ宅に戻ると、俺とYジロウは二人だけの祝杯を挙げた。
興奮がおさまらず、1時間ほどこの旅の総括を話して寝床に就いたが、
明日は東京に戻らなくちゃいけない。
許された睡眠時間は2時間ほどになっていた。


Yジロウはお母さんに、この世で一番美味いという、
「オムライス」
という朝飯のリクエストを書き置きしていた。

札幌道中唄繰り気(帰還)

2007年10月22日(月)


朝、夢も見ないでグッスリ眠っていると、
Yジロウ母さんにけたたましく起こされた。


居間に下りて行くと、もうオムライスが出来上がって食卓に並んでいた。
俺はそのオムライスを夢中で頬張りながら、
感謝の気持ちで一杯になった。
こんなに世話になっておきながらお返しできるものが、
俺には何一つない。
唯一は唄だけど、Yジロウ母さんとは無縁のものかもしれない。
「本当にお世話になりっぱなしで、有り難うございました」
と何度かお礼を言おうとすると、
「な〜んも、なんも、何にもしてないさぁ」
とYジロウ母さんは北海道弁でさえぎった。
その横顔を見て、俺は涙が出そうになった。
そして最後に、“太陽熱”を右手の人差し指に掛けさせてもらった。
傷は“太陽熱”のお陰でほぼ完治していた。


朝飯を食べ終えると、出掛ける準備をし、
予定より早くYジロウ宅を出た。
Yジロウ母さんは、
「あんた達は毎日朝まで遊んで、身体をこわさないようにね」
と念を押して、送り出してくれた。
タクシーから手を振り、Yジロウ父さんと母さんと別れた。


近くのバス停まで行き、そこかた新千歳空港までバスに揺られる。
空港まで、幾つかの森を見たが、綺麗に紅葉していた。


行きの慌ただしさとは打って変わって帰りの空港では時間のゆとりがあった。
空港でリボン・ナポリンという北海道特産のサイダーを飲み、
ゆったりと搭乗の時間を待った。
その間、俺とYジロウは幾つか会話を交わしたが、
三日間の疲れと寝不足で、
お互いブツブツ話すだけで何を言っているか聞き取れないような状態だった。
半分、眠った状態で飛行機を待ち、
飛行機に乗ると、完全に眠った。
そうして意識を失っているうちに、
俺達は北海道と別れ、東京へと戻り、
この三日間と半日を掛けた旅を終えたのだ。


この札幌道中でお世話になった人達に、
心から、心から感謝します。
本当に有り難うございました。

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Thanks to,


The 1'st day

ミチヒサ君、ビー君、旧姓ほっちゃん
モダンタイムスのスタッフの皆さん
モダンタイムスで一緒に演奏してくれたドラムの方
モダンタイムスにいたお客さん


The 2'nd day

Woodstock・金安彰さん
G.G.KINGのメンバーの皆さん、ドラムのオカムラさん
オオノ君、モリオ君、オオウラ君、たっつん
佳奈りん、エミちゃん、アイちゃん、アリサっち
Woodstockに偶然居合わせたお客さん
ハーモニカを教えて下さった方


The 3'rd day

琉吉・シラハタさん、スタッフの皆さん
金安彰さん、KAZUYAさん、青木崇さん、ベースの丸井さん
琉吉で隣に座って枝豆をご馳走して下さったE.aさん
打ち上げで『呑気放亭』に感動しましたと言ってくれた女の子
クマちゃん、藤枝さん、工藤さん
琉吉に出演されていたミュージシャンの皆さん
お客さんの皆さん
小嶋とおる君
BOOGIE・アキラさん、店長さん
トオル君のバンドの皆さん


schedule coordinator

Yジロウ、小嶋とおる君、ビー君

special thanks to

Yジロウfamily、Yジロウ、小嶋とおる君


and

北海道、札幌


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